[病院紹介]

財団法人 川越病院 〒606-8412 京都市左京区浄土寺馬場町48

精神科許可病床数 162

精神保健福祉法指定病床数 10

応急入院指定・京都府南部精神科救急システム参画

看護配置 15:1

精神科ディケア 大規模

 

病院の内容については精神神経学会専門医制度委員会認定研修施設一覧をご覧下さい。

今回は日本で最初の民間精神病院として続いている当病院の歴史を紹介します。

明治維新に伴って都が京都より東京に移ったが、京都はその衰退を恐れ東京に対抗すべく常に独創的事業を行った。琵琶湖疎水、インクライン、日本初の水力発電所、その電気で日本初の路面電車の開業などなど・・・さらに明治8年京都府(槇村正直知事)は東山南禅寺に癲狂院を創設、これが我が国最初の公立精神病院である。昔から精神病患者は寺院のご利益に結びついて群居しており、京都では岩倉大雲寺・久世郡大日堂などで、御水を飲むと利くとかの妄説があった。また、時として患者には人道上許し難い虐待などがあり、府民が長谷知事にその暴状を訴え、京都府がこれを探査するという事件があった。

癲狂院の創立について尽力し功績のあったのは永観堂禅林寺の住職東山天華である。天華は巨額の募金活動を行い、開院後は4年間癲狂院の事務を司った。明治8725日に南禅寺方丈で開院式が行われたが、「続南禅寺史」によると、「京都府は明治85月に癲狂院の設置を決定し、施設として南禅寺に眼をつけ、寺の嘆願も無視され大切な方丈の明け渡しを言い渡され、その上帰雲院客殿も提供を迫られ、国宝に属する文化財を癲狂院に使用する暴挙云々」と記している。明治維新で廃仏毀釈、仏教に対する圧迫ははなはだしく、療病院建設に百両、その上に方丈を荒らされると歎いている。最初は仮病院として京都府が借用したのであったが、南禅寺の返還願いも空しく、8年後、明治15年(1882)10月、京都府が癲狂院を廃止するまで、南禅寺に還付されなかった。廃止時、京都府は使用修理費として2500円を支払っただけであった。この癲狂院の管理は療病院が当たり、半井澄がこれに任ぜられた。明治9年、癲狂院の医員神戸文哉はイギリスのH=モーズレの著書を翻訳し、「精神病約説」(上・中・下、三巻)として刊行されたが、日本における最初の精神医学書として高く評価されている。

 開院当時布告された癲狂院治療条則は明治14年(18811月改正され、すこぶる進歩的近代的なものである。開院初年の入院患者は65人であったが、明治10年(1877)には143人の多数に上っている。

 明治14年(1881)の入院患者163名の診断分類をみると、癲狂(61)、鬱憂狂(29)、癖狂(19)、失神(15)、徳行狂(13)、自尊狂(12)、酒癖(6)、麻痺狂(1)

未診定(7)となっている。

 京都府癲狂院は収支をつぐなわず明治15年(1882)10月廃止された。当時の京都府知事北垣國道はこの種の施設の廃止をはなはだ遺憾とし、李家隆彦、棚橋元章、川越新四朗、永谷鍵次らの有志に事業を継続させ、建物・設備を府が貸与する形でいったん取り壊して永観堂境内に移転、ここに私立京都癲狂院として再出発することとした。これが川越病院の始まりである。同年同月10日に開業式において北垣知事自ら下記の祝辞を述べた。実に情熱のこもった内容である。  

     人誰アルヲイザラン。シテ、病因

キ。癲狂者ヨリキハナシ。

セハ、霖雨ヒ、暗夜

      ルカシ。快楽シテ、効益

          ナルヲセサラン。本府癲狂

          ク。八年其方術シク、

          入院患者年々多ク、其已治効

ルモノ若干人ルニ本年本月リ、

          スルニル。ヨリ國道本意非ス。

          サルニツ。李家隆彦等

          諸有志ル。有志者奮テ、私立以

          其業ントス。本日開業

          ウニヘリ。嘆賞セサラン

          諸有志益其志クシ、其術

          メハ本府創立亦地サルヘキ

祝辞

明治十五年十月十日

                              京都府知事従五位北垣國道        

 

 明治19年李家隆彦が院長に辞任し、高松彜が院長となり、前記有志四氏を「創立者」となし、翌20年継続者同盟を結成し、同盟規約を作成、同志的結束でその運営に努力が重ねられた。明治29年永谷氏が死去し病院はただ一人残った川越氏個人の所有に帰した。大正2年10月新四朗の嗣子直三郎が院長となり、さらに施設を増加するために現在の地、左京区浄土寺馬場町に移転、病院を新築し川越病院と改称した。以上が病院の簡単な来歴です。

 2007年10月当院は創設125年を迎えますが、100年は千年の都・京都では長いとは思われておりません。

 

文献

「現代精神医学体系」中山書店

「京都の医学史」京都府医師会編集 思文閣出版