第2代 槙村正直(まきむらまさなお)

就任期間:明治8年(1875)7月〜明治14年1月

天保5年(1834)、長州生まれ。明治元年、維新政府の役人として京都府に着任し、京都府大参事を経て明治8年(1875)7月、京都府権知事となり、同10年に知事となる。山本覚馬ら有識者を重用して果断な実行力で文明開化政策をすすめ、我が国初の小学校をはじめ舎密局、博物館、女紅場、画学校、外国語学校、貧民授産所などを次々と設立。近代国家の体制ができあがり、地方政治の制度が整ってくると、彼の裁量権の幅もしだいに縮小し、やや強権的な政治手法は、新たにできた府会などとの対立もひき起こした。退任後、元老院議官に転出。