黒瀬文庫の由来
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語りつがれる

中央小の同窓生
中央小学校は多くの同窓生を輩出していますが、中でも、子供達にその逸話を語り次いでいるおふたりの方のお話を紹介します。

黒瀬文庫


黒瀬 淳さん
昭和9年卒








































 昭和52年、千葉県警察総務部長を勇退の折、その退職金の一部を寄贈され、図書室に黒瀬文庫を設立、その後、12年間にわたり、贈られた図書は児童の読書指導の礎となっている。その本の数は、今や1200冊にものぼり図書館指導だけでなく、学級文庫にまで及んでいる。 著書に「でも巡査の泣き笑い」がある











 黒い本棚には、「黒瀬文庫」と水色で名前が書いてある。もうペンキはいくらかはげかかって、何年も前から、図書館の端っこにある。本棚はたくさんあるけれど、何でここの本棚だけ、変な名前がついているのか。
 教室の中で騒いでいる子どもたちの声が聞こえてきた。 野田尋常小学校 六年四組
 「よう、黒瀬、図書館に今日少年クラブの新年号が入るぜ!『一直線』で危機一髪だったが、あの連載の続きはいったいどうなっているのだろうか。「早くよみたいなあ。」「早く鐘が鳴らないかな。」
 黒瀬君はお父さんが役所を辞めてから、生活が苦しくなって、今では本なんて買ってもらえるわけがない。とりわけ、本が好きな黒瀬君にとって、それはとても淋しいことだった。本がいっぱい買えたらなあ。時々、好きな本に囲まれている夢をみる。友達は、黒瀬君のことを「お前は、図書キチだね。」といって笑う。「図書キチ」とは、本に夢中になってしまっている、ということである。
 黒瀬君は、高等小学校を出ると、東京の本屋さんに勤めに出た。その本屋さんでは、学生さんばかりでなく、裁判官や判事の人まで、法律の本を探しに来る。黒瀬君は、そんな本を注文されると東京中を走り回って、お客の注文にあった本を探し出す。とても大きな本屋さんだったのです。難しい本は、学問がない人には取り扱いが無理なので、そこのご主人は、「本屋は勉強しないとダメだ。」と言って使用人にどんどん勉強をさせた。

 
黒瀬君は、もうその頃は立派な青年になっていたから、黒瀬さんと呼ぶことにしましょう。
 黒瀬さんはその本屋をやめると、かねてから思っていた、夜間の商業高校に入学した。上の学校に行くことは、子どもの頃からの夢であったから、たとえ夜間であってもあこがれの制服を着て学校へ通うことは、とても楽しいことだった。野田から東京へ通う電車の中は、いつもすいていたので、座席にかけると、友達と話をしたり、教科書を開いてその日の予習をすることもあった。
 それからは戦争だ。世の中がめちゃめちゃになるくらい大変な時代だった。終戦のときは、長野県小諸の軍需工場(飛行機を作る)で働いていた。その後野田にもどって、警察官募集のポスターが目に入った。二十三歳、黒瀬巡査の誕生だった。
 振りかえるといろいろなことがあった。小さい頃からの読書量は黒瀬さんの人生体験に随分と役立ったという。知恵を利用して、警察内部にいろいろな新しいアイデイアを出した。そして無事三十ニ年間の警察官を勤め上げた。それは、小学校時代の苦労が役に立ったのだという。何か感謝の方法はないかなあ
・・・。と考え、退職金の一部を子ども達のために役立てたいと思った。
 黒瀬さんは子どもの頃を思い出していた。中央小の校門をかけぬけると、図書館の子ども室へ駆け込んだことを。読みたい新しい本は、なかなか順番がまわってこなかったこと。やっと見つけた本を図書館の庭に出て、噴水のそばで読んだこと。池の真ん中に白いユッカラが、大きな花を咲かせていたこと。
 黒瀬さんは、子どもたちにたくさん本を読ませたくて、黒瀬文庫をつくり本棚いっぱいの本を贈ってくれた。水色のラベルはその頃からついている黒瀬文庫の印なのだ。黒瀬さんは毎年毎年、十二年間も本を贈りつづけてくれた。だから、本は、本棚からあふれ出て、他の学級文庫にまで、流れこんでいる。