日本人の国旗掲揚を望む声が雑誌や新聞に見られます。同感の方は沢山おられると思います。 日本のような外国占領軍による伝統破壊をうけた国は、国旗掲揚を米国のように義務付けて復活させるのが一番良いと思います。 |
目次:
1.国旗保有率と国旗掲揚率の動向 | 統計から |
2.国旗掲揚推進の声 | 新聞雑誌から |
3.国旗掲揚者の声 |
現在掲揚している方の声 |
1.国旗保有率と国旗掲揚率の動向
単位% |
敗戦前 | 昭和20年 (1945) |
昭和24年 (1949年) |
昭和25年 (1950年) |
昭和39年 (1964年) |
38年間 | 現在 |
国旗保有率 | ほぼ100 | ほぼ100 | 減少 | 73 | 一時上がる | 減少 | 非常に少ない |
国旗掲揚率 | ほぼ100 | 占領軍の禁止によりゼロ | 占領軍 許可 |
30+不確定27=57 |
東京オリンピックで向上 約56% |
減少 | ほぼゼロ |
反国旗宣伝 | なし | 占領軍開始 | 占領軍縮小 傾向 |
左翼(マスコミ, 日教組など)続行 |
同左 | 同左 | 同左 |
注:昭和25年データ典拠 : 朝日新聞調査結果 「日の丸,君が代」 大月書店より
昭和39年データ:内閣調査による
反日宣伝は当初占領軍が始めその後止めたが、日教組、マスコミなど左翼勢力が続行してきた。
2.国旗掲揚推進の声:
月日 | タイトル |
03/03/21 | 永久平和願い祝日に国旗 |
祝日には家庭で国旗掲揚を | |
伊勢神宮参拝 国旗に心清く | |
03/07/25 | 自治会費で各戸に国旗配る |
03/07/07 | 国旗なき議場画竜点睛を欠く |
03/05/30 | 国旗掲揚から愛国心を自覚 |
03/05 | なぜ国旗を揚げない |
03/01/06 | はためく国旗に国の繁栄を願う |
02/12/02 | JR九州330駅で、祝日の日の丸 |
02/10/14 | 国旗保有率と国旗掲揚率の動向(データ) |
02/7/26 | 日の丸掲揚で社内に活気が |
02/6/19 | 歴史的な国旗、国歌 |
02/6/10 | W杯で見えた若者の愛国心 |
02/5/21 | 国への敬愛 |
02/3/15 | 国旗、国歌の軽視、誇り喪失の象徴 |
02/2/11 | 建国記念番組の無い建国記念日 |
02/4/22 | 生徒の手で毎朝国旗掲揚 |
02/5/20 | 沖縄/国旗を愛した県民だった |
02/7/16 | 子供が国旗を誇れるように |
永久平和願い祝日に国旗 産経新聞 横浜市 元教員 K氏(73歳)
近所のお年寄りが我が家のことを、日の丸の家と呼んでおられるという。祝日には玄関先に必ず国旗を掲げる我が家の慣わしを気にかけておられたゆえだろう。まだ現役の教員でいたころ、卒業式が近づくと国旗、国歌をめぐって不毛の論争が続いた学校があった。その最中、PTA会長を中心に地域住民三千名の署名を添えて国旗を掲げ、国歌を斉唱するよう要望してきたが反対する教師たちを説得することは出来なかった。戦後日の丸は平和国家・日本のしるしとして国際社会から認められ、君が代の君である天皇も国民の象徴に変わった。もう戦後60年近くたつというのに、なぜ柔軟な理解が出来ないのか不思議だ。その要因に戦後教育のゆがみがあると思うとその一翼を担った身の不明が恥ずかしい。我が家が祝日に国旗を掲げるのは、今の平和がいつまでも続けと改めて心を新たにしたいからである。
解説:投稿者は反日教育にやむなく従事したことを後悔しているがその毒は若い世代に注入され取り返しがつかない。せめてもの罪滅ぼしに国旗を上げているのである。もっとも愛国的であるべき教員が外国の民族主義に支配され幼い生徒を売る。これほどの悲劇はない。日の丸が平和国家のしるしと言うのは間違いである。日の丸は日本民族の生命の不変の象徴である。それは平和時はもちろん戦時も変わらない。平和を守るには国防を固めるのが原則である。国防なくして平和は単独では存在できないのである。平和と言えばすむと言う腰の引けた態度は卒業しなければならない。
祝日には家庭で国旗掲揚を サンケイ新聞 東京都 主婦 Oさん(54歳)
私が子供の頃は、祝日にはそれぞれの家庭で国旗を玄関先に掲げていたものです。その国旗をみて祝日の晴れがましさと厳粛さを感じたことを思い出します。祝日はいずれも大切な日として記念すべく、長い日本の歴史の中で決められたものです。私には四人の子供がいますが、どの子も公立の学校に通っている間、国旗を見ること、国歌を歌うことは一度もありませんでした。日本に生まれ育ち、今日の豊かな暮らしを散々謳歌しておきながら、自分の国に対して感謝の気持ちも愛情も持たないのはおかしいことだと思います。祝日には各家庭で国旗を掲げてはいかがでしょうか。国民がもっと自分の国を大切に思えるようになれば、この不景気も吹き飛ぶのではないでしょうか。
伊勢神宮参拝、国旗に心清く サンケイ新聞 大阪市 小学2年生 K君(8歳)
夏休に伊勢神宮に行きました。伊勢神宮に入る時の宇治橋から見た五十鈴川はとてもきれいでした。それで天照大神様の住んでいるところはすごくきれいな所だな、と思いました。伊勢神宮は日本のことをお祈りするところです。だから僕は日本の川や山がきれいで、動物がいっぱい住める日本になるように、とお祈りしました。式年遷宮は二十年ごとに隣の土地に入れ替わることです。僕は二十年ごとに建て換わる式年遷宮を見たいです。伊勢に台風が来て、木が倒れて宇治橋に当たると橋が倒れるので、受け止める柱がありました。最初何かな、と思いました。でも、いっしょに行ったおじいちゃんにそう教えてもらいました。最後、来た道に戻って日本の国旗を見ました。日本の国旗を見ると、心がきれいになったみたいで、伊勢神宮にこられてよかったと思いました。
評:民族が自分の祖先を知ることは国際社会に生きる時代には不可欠です。伊勢神宮は、日本人の全学生の修学旅行先に定める必要があります。
自治会費で各戸に国旗配る 神戸市 元機長 Y氏(65歳)
産経新聞 平成15年7月25日付け
7月7日付談話室「国旗無き議場、画竜点睛を欠く」を読みました。まったく同感です。私の町は小さいものの、十三の小区に分かれています。祝日には国旗を掲げようと提唱していましたが、今年から私の属する小区だけでもと、自治会費で国旗を配り掲揚しています。割合有名な温泉場で祝日は観光客も多く、ずらーっと並んだ国旗を見て、快く感じているようです。我々もなんとなく誇らしく感じます。国は国民の集まりです。言い換えれば我々こそ国そのものです。自分たち国民を大切にすることは、国を大切にすることです。船舶では船尾に国旗を掲げています。訪船するとき、タラップを上がったところで船尾の方を向いて敬礼、または頭を下げて挨拶することが、礼儀となっております。
国旗無き議場、画竜点睛を欠く 兵庫県加古川市 市会議員 O 氏
産経新聞 平成15年7月7日付け
昨年初当選を果した。加古川市議会議場に国旗が掲げられていないので、私は他の議員の方々に「議場に国旗を掲げるべきではないか」との意見を投げかけてみた。すると、予想通り、日の丸、君が代そのものを否定する一部の勢力から「それは日の丸の押し付け」だと反対されたが、いわゆる保守派とされる議員を始め、他の議員からも「あえて掲げる必要はない」といった理由で同調してもらえなかった。唯物論的観点から言えば、ある空間に白地に赤丸のついた布切れがあろうが無かろうが、大した問題ではないだろう。しかし「画竜点睛を欠く」とわれるが、地方議会といえども、国旗のない議場は表札のない家のようなものであると思われてならない。自国の国旗を掲げるのになをはばかることがあろう。議場や公共の建物はもちろん、祝日には街中に日の丸が翻れば、そのれだけで社会や国家の運気が好転すると思うのだが、・・・・。
「国旗掲揚から愛国心を意識」
産経新聞 談話室 平成15年5月30日付け
先日、地元のボーイスカウトの運動会があった。小学校三年生の双子の体験入団のために初めて参加した。開会式での国旗掲揚では、参加者全員が直立して敬礼をした。最初は敬礼が気恥ずかしかったが、閉会式で国旗を降ろすときは、気恥ずかしさも無くなり、すがすがしい気持ちになった。思えばこの年齢になるまで、すでに揚げられている国旗は見たことはあるが、自分が実際に国旗が揚げられてゆく光景をみるのは、テレビを別にしてなかったように思う。掲揚される国旗を見守るのは厳粛で身が引き締まる思いと、よい意味での緊張感を感じた。普段は日本という国にいながらあまり日本を意識せずにいる。だが、国を愛する心を持つためにも、国民に国旗掲揚の機会が与えられる必要があるのではないかと実感した。
「祝日になぜ国旗を揚げない」
産経新聞 談話室 平成15年5月
ゴールデンウィークは祝日のもっと多く重なる時期であるが、悲しいことに日の丸を掲揚している家が少なかったのは残念でならない。北朝鮮の拉致問題、中国や韓国による不愉快な内政干渉などから、最近は国民の民族意識とか国家意識が近来になく高まってきているように思う。それにもかかわらず祝日に国旗を掲げる家が少ないのはどうしたことだろうか。五月晴れの空に鯉幟が元気に泳いでいるのを眺めるのは気持ちのよいものだがそういう家でも日の丸が無い。祝日に堂々と国旗を掲げて祝う習慣を持ちたいものである。最近はマンション住まいの人も大変多いのでベランダにでも掲げられる小ぶりの日の丸を業者には作ってもらいたい。一戸建てでないために掲揚できない人も多いのではないかと思う。
「はためく国旗に国の繁栄を願う」産経新聞 平成15年1月6日付け 元自衛官 K氏(87歳) 横浜市 在住
最近,長女が上等な麻の国旗を買ってきた。前後して次男が旗竿のついた国旗を送ってきた。親父が祝日に門に掲げる日の丸の旗がくたびれてきたのを見て,期せずして思いついたようだ。戦後日の丸を求めたのは講和条約締結の直後。当時は日の丸を求めるのに苦労した。デパートの案内係りに聞いたところ,長時間さまざまな売り場に問い合わせてくれ,結納品売場でようやく購入できた。旗日には,我が家の門には日の丸が掲げられている。「右翼って言われそうね」と子供達ははためく日の丸を仰いで言う。私は「戦友は日の丸を腹に巻いて,ソ連の戦車に向かっていったものだ」と答えた。それ以来,子供達は当然のことのように、門の国旗に気を使うようになった。天皇誕生日の朝,長女が買ってくれた立派な日の丸を我が家の門に、次男から贈られた日の丸は新築した長男の家の門に掲げた。透き通るような朝風にはためく日の丸の旗に,この国の繁栄が今後も永久に継続することを願った。
「JR九州330駅で,祝日の日の丸」 サンケイ新聞投稿 平成14年12月2日 茨城県ひたち市 K氏 (71歳)
先日JR九州がエリア全域で国民の祝日に国旗を掲揚するという記事に見入った。12月23日の天皇誕生日から全祝日に約330の有人駅すべてで国旗を掲げるという。その光景が見られるのが楽しみで、発案したJR九州の英断にお礼を申し上げたい。国旗を掲げることは世界の常識であるが,なぜこのように新鮮に感じるのだろうか。国旗を軽視してきた根本原因は,日本が独立後も占領政策の自縛から抜けられず、心の荒廃を招いたためだと指摘されている。JR九州の英断は、やがて他のJR各社に波及するであろうし、家ごとに日の丸を見るのも決して夢ではないと思う。
子供達は学校で満足に教えられずとも、美しい日の丸を見るうち、日本人が持つ美しい心がよみがえり、美しい日本を取り戻す。その起爆剤になることを,大いに期待したい。(原題:美しい日本、祝日の日の丸)
「日の丸掲揚で社内に活気が」 サンケイ新聞投稿 平成14年7月26日 大阪市 エンジニア K氏(38歳)
私の町内には毎朝「日の丸」を掲揚されているお宅がある。出勤の時に家の前を通るので、いつも背筋の伸びる思いであった。
先日ご主人が旗を掲げているところに出くわした。お礼を言うと、そのご主人は「反対する人もいます。(お礼をいわれたのは)初めてのことですよ」。私が子供の頃は、祝日に「日の丸」を掲揚する家がけっこう多くあった。今はすっかり見かけなくなり、国旗を掲げれば右翼のように言う人もいる。日本人が日本で日本の旗を掲げるのが普通でないとは。一体どこがいけないのだろう。今、日本は経済力が落ち、誇りも失い、国民全体が意気消沈している。これではいけないと、私の勤め先では社員が話し合い、社旗と国旗を掲揚することにした。昭和天皇の崩御以来、実に13年ぶりのことだ。青空にはためく旗を見ていると不思議と元気が出て、社内に活気と一体観が生まれつつある。こんなに効果があがるとは思いもよらぬことであった。
「歴史的な国旗、国歌」 サンケイ新聞 産経抄 平成14年6月19日 抜粋
「日本の新聞には”歴史的という言葉が溢れている」とどこかの外国特派員が書いていたそうだ。なるほどサッカーW杯報道では、歴史的という言葉が頻発した。初勝利や視聴率や日の丸の問題でかってない社会現象が起きたからである。巨大な競技場が青1色でうずめられ、ほおに日の丸をペインテイングした若者達がいっせいに国旗を打ち振っている。起立して君が代を歌っている。一体こうした感動的な光景の出現を予測し得た社会心理学者や時代ウオッチャーがいただろうか。平成11年に国旗国歌法が論議されたとき、朝日新聞は社説で「日の丸、君が代は戦争などの記憶に結びついている...」と反対した。一部野党や評論家もこぞって国旗や国歌に反対した。それからまだ3年しか経っていない。今若者達が日の丸に熱中する姿をどう見ているのか、ぜひ聞いてみたい。
W杯で見えた若者の愛国心」 サンケイ新聞 談話室 平成14年6月10日 Y氏
これまでサッカーをそれほど面白いゲームとは思わなかったが、ベルギー戦に熱狂するファンをテレビで見て、国民的ゲームとしての認識を新たにさせられた。日の丸の旗を手にして「ニッポン!ニッポン!」と叫び、君が代を合唱し、初めて点を入れた時の、サッカー場を揺るがしたどよめきと狂喜乱舞。また、テレビ観戦の街のサポータたちの熱狂的な支援振りを見て、これほどにも日頃見掛ける街の若者たちが、まるで人の違ったように愛国心を発揮して行動できるものかと感動させられた。今の社会はモラルが崩壊して衰退の一途をたどると案じられる現状だが、
W杯を通じてのひたぶるな愛国の思いは、まだまだ大丈夫とそれを見直す契機となる。小泉純一郎首相はこの機を逸せず、日本人の心根にあるこの思いをすくい上げ、健全な社会に立ち戻るための一層の努力を期待したい。
「国への敬愛」 抜粋 日本経済新聞 平成14年5月21日 造船会社会長 I 氏 |
産経新聞投稿 平成14年3月15日から抜粋させていただいたものです。 筆者はトルコ人のご主人を持つ日本人の女性です。日本人が当たり前と思っていることが世界では異常であることが良く分かると思います。 「国旗国歌の軽視、誇り喪失の象徴」 静岡県 ( 女性 ) 「現在の日本で国旗国歌をめぐる不必要なまでのタブーが、教育現場や社会での混乱を生み出したのではないかと思う。私はトルコ人と結婚後「日本人の国旗国歌に対する異常な取り扱い方は逆におかしい」と指摘された。 主人の母国トルコで暮らした過去5年間は、祝日には国旗掲揚はどこの家でも自然に行われていた。道行くバスやタクシーにも国旗が掲げられ、企業や商店に至っては国旗の数や大小を競わんばかりのユニークな掲揚も目立った。だからと言って、彼らが極端な軍国主義精神の持ち主だと言うわけではない。世界中、どの国も自国の国旗国歌に誇りと愛着を持つのは当然のことである。 現に国旗国歌に誇りをもたない日本人が心のよりどころとするのは日本の高度な経済力というゆがんだ感覚だ。経済が一定水準に及ばない国を軽視し、常識でも考えられないような非礼な振る舞いをする最近の姿勢は、人間としての誇りと尊厳を失ったなれの果てを感じざるを得ない」 |
「建国記念番組のない建国記念の日」 中村 粲 (獨協大学教授) 抜粋 正論 平成14年4月号 2月11日建国記念日。朝、門に国旗を掲げる。早春、凛冽(りんれつ)の気流れる青空に翩翻(へんぽん)とひるがへる日章旗。清々しいひと時だ。一回限りの生をこの国に享けた有難さをしみじみ思う。街を漫歩するも国旗を掲揚する家は1軒も無し。自国の国旗を恥ずる民族に禍(わざわい)あれ。亡国の兆しは国民の心の中に胚胎(はいたい)しつつある。 この日、NHKテレビに建国を祝い、考える番組一つも無し。 注:胚胎(はいたい:原因が根付くこと |
「生徒の手で毎朝国旗掲揚」
産経新聞 平成14年4月22日 記事抜粋 茨城県那珂町立第一中では生徒による国旗掲揚が毎朝行われている。 毎朝8時50分、校内放送で国歌が流されると、当番の生徒が校庭の掲揚塔に国旗を揚げる。この間教室では全校生徒が起立して姿勢を正す。生徒による連日国旗掲揚は昭和40年の開校以来「日本人としての自覚と誇りを持った生徒の育成」という教育目標に沿った伝統として途切れることなく続いている。 また、この時間を、心を落ち着かせる「静の時間」と呼び、この後の10分間は読書などを行っている。 校長は「生徒は当たり前のこととして国旗掲揚を行っている。良い伝統なのでずっと続けたい」と話している。 |
「沖縄/日の丸愛した県民だった」 産経新聞 平成14年5月20日 記事抜粋 |
「子供が国旗を誇れるように」 サンケイ新聞 平成14年7月16日 投稿 K氏 近くのガソリンスタンドに万国旗が飾ってあった。あの旗はどこそこの国でしょと五歳の娘が言ったのには驚いた。各国の国旗を教えたことはなかったがワールドカップを一緒にテレビ観戦しているうちに、自然に覚えたらしい。外国のサポータは、どこの会場でも国旗を掲げ、選手も勝利後,国旗を見にまとって喜びを表していた。国旗に対して、誇りと愛着を感じている様子がテレビ画面を通して伝わってきた。日本の場合はどうだろう。ワールドカップやオリンピックでは「日の丸」の国旗を掲げることを熱望しているのに、学校など教育施設の常時掲揚になると,何故問題視してしまうのか。今後教育が日本の将来を決定する。世界の子供達に日本の国旗を覚えてもらうことを誇りに思える、そういう教育がなされる国家になって欲しい。 |
3.国旗掲揚者の声:
旗を掲揚している方のご意見を記します。国旗掲揚率は今殆どゼロです。ぜひ昔のようにすべての家に国旗が見られるようにしなければなりません。 「徳 孤ならず、必ず友あり」 (よいことをする人は孤立していない。かならず理解し協力してくれる人がいる) 連帯しましょう。 |
都道府県 | 掲揚者 | 状 況 | |
東京都 | Y氏 | ずっと祝日には日の丸を掲揚しています。息子夫婦が嫌がるのですが、これはやめるわけには行きません。戦争には出ませんでしたが、竹槍訓練は受けました。(自営業) | |
神奈川県 | K氏 | 私の家では、国旗掲揚に理解があり、特に息子の嫁は国旗掲揚の重要性をよく理解しています。私は自衛隊に長く奉職いたしました。(元自衛官) | |
神奈川県 | N氏 | 町内では私だけですが、祝日に日の丸を掲げています。日本海海戦の旧海軍記念日にも掲げていましたが妻の反対で中止しています。(大学教授) | |
岡山県 | T氏 | 地元でこの運動を微力ながらやっています。 | |
茨城県 | 那珂町立 第一中 |
生徒による国旗掲揚が毎朝行われています。 |
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島根県 | T氏 | 私のところの氏神では5年前から掲揚ポールに国旗掲揚をしております。年間祭祀の中で大祭すなわち春季例大祭、戦没者慰霊祭、秋期例大祭、元旦、節分祭と七年式年祭の大元神社祭では、掲揚ポールと摂社、金毘羅神社、大元神社、商魂社には国旗を二本交差させて掲揚します。 したがって合計9本の国旗を掲揚し、幼い子供達には幼児期から国旗漬けにしようと考えています。 |
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2ch抜粋 |
門に国旗を掲揚して3年。もちろん近所では家だけだった。 |