映画「戦場に架ける橋」の虚実       鉄道第九連隊資料から

泰緬鉄道建設の悲劇はクワイ河マーチの音楽で有名な映画「戦場に架ける橋」でよく知られていますが、実際はどうだったのでしょうか。 鉄道隊大隊長元陸軍少佐菅野廉一氏は「映画は仏人ピエール・プールの創作でまったくのフィクションにもかかわらず若い人たちの間で史実と思われていることはまことに残念です」と述べています。
映画を史実と対比してみましょう

         誤 り                     史  実
戦争の経緯が描かれていない なぜ欧米の捕虜がいたのか。欧米のアジアの植民地支配はどんなものだったのか。
捕虜収容所が橋を建設した。 陸軍鉄道隊(一万五千人)が工事の設計、施工を行った。捕虜は大本営直轄の捕虜収容所が提供し単純労働を行った。これが映画の最大の誤りである。専門家の鉄道隊を出すと話が成立しないので無理に作ったのであろう。
捕虜が橋を設計した。 鉄道隊は東大卒などの一流の土木技術者がおり、欧米の兵隊に頼ることはありえない。欧米人の日本人蔑視の表れ。
捕虜収容所の所長の経歴 大佐が若いころロンドンの学校で工芸の勉強をしたという。日本の職業軍人の経歴ではありえない話。英語が上手なので無理に付け加えたのであろうか。
所長が宿舎で和服を着用 ありえない。東洋人であることを強調するための芝居。
特殊部隊橋を爆破する 橋は空から見えるので爆撃すればすむ。特攻隊は不要。事実爆撃で破壊された。地上からの破壊工作はなかった。
歴史背景がない。 なぜ欧米軍がアジアにいたのか。なぜ日本軍が泰緬鉄道を作ろうとしたのか、時代背景が説明されない。
コレラ事件がない コレラが大流行した史実が欠けている。
戦後の報復が描かれない 戦後英軍は降伏した日本軍人を捕らえると、殴るける、食事を与えないなどの虐待を行い、さらに報復処刑している。英軍も奇麗事ばかりしていたわけではない。映画であるか削除(カット)は当然であるが。

平成15年11月29日 記事 
「映画撮影について」    結城三枝子氏 談

 
亡くなった父(結城司郎次氏)がスリランカ大使だった時、ハリウッドからロケ隊がやって来て撮影したのがこの作品。日本との戦争を描くということで現地の日本大使館に協力を求めたのだと思います。父は日本人を一方的な悪者に描かないでと要望したようです。

私は十三歳くらい。大使館でロケ隊に両親が日本食をふるまったり、ロケ現場に差し入れをしたりしていたのを覚えています。スリランカはものすごく暑い国で、食中毒を恐れて宇宙食のような食事を取っていましたから、日本食を喜んでくれたのではないでしょうか。

早川雪洲さんも出演されていました。居合の達人の早川さんがスタッフの前で腕前を披露し、気合を入れた瞬間に鼻ちょうちんが膨らんだ話などを聞き、笑ったのを覚えています。ガーデンパーティーで母は「アレックギネスさんが素敵」と笑っていました。

「改めて映画を見ると作品にこめられた反戦のメッセージは今でも十分に通じますね。人間として当たり前の行動が戦場では通用しないという戦争の悲惨さ。日本人も人間として公正に描かれ、父の要望も少しは役立ったのかしら。この時、親交ができたプロデューサーのサム・スピーゲルさんには、私が米国留学するときに面倒をみてもらいました。主題曲の『クワイ川マーチ』を聞くと亡くなった両親のことを今でも思い出す。個人的にとても大切な作品です。 

映画解説 

 第二次大戦中、ビルマ・タイ戦線で日本軍が行った鉄道建設。その実話を基にしたベストセラー小説を、名匠デビッド・リーン監督が壮大なスケールで映画化した。 捕虜収容所の所長 (早川雪洲)と捕虜の英軍士官(アレック・ギネス)が、時に反発し合いながらも、鉄道橋建設で協力する。利敵行為に喜びを見いだす英軍士官の心の揺れを描き、戦争の無意味さ、皮肉さを痛切に訴えかけている。ソニーからDVDのデラックス・コレクターズ・エディション(本体価格3980円)が出ているo

感想:結城氏はこの映画を反戦のメッセージといっているが、戦争を生活の価値観で語っているのはいかがかと思う。ソ連軍の侵攻を受けた満洲の悲惨な逃避行を経験していた人なら戦争についてもっと深い見方ができるのではないか。
「平和や反戦」は口先で云うようなものではない。平和は十分な国防によってのみ守られる。反戦意識が広がれば自衛ができないことになり、敵の攻撃を受け戦争を起こすのである。人間と戦争の問題は古来国防以外の方法では解決されない問題なのだ。
結城氏だけではないが、自分だけ安全圏にいて「反戦」と一言いえばすむという戦後の安易な発想は幼稚であり、日本人だけでなく祖国のために戦死した外国人に対する冒涜でもある。
戦争は決して無意味ではない。追い詰められた人間の必死の行動なのである。それを安全地帯に身をおいて一方的に批判するのは人間性に対する無理解と不誠実な態度ではないだろうか。私たちはもっと戦争をまじめに考えたい。