東町の歴史は、水との関わりの歴史でもあります。時代とともに水との関わり方を変化させながら、ついに水との共存を実現させた現代に至るまでの軌跡を、豊富な実物資料と詳細なグラフィックによって明らかにします。


霞ヶ浦や周辺河川における漁労活動によって、
福田貝塚などの縄文文化が花開いた原始時代
から、海夫の活躍などにより水運が発達し、広く
諸国と交流した中世までを概観します。


             縄文時代や古墳時代に当地域に
                花開いた文化は霞ヶ浦の賜物

















       福田貝塚出土の人面装飾付き注口土器(複製)は
       縄文土器の優品として名高い

          幸田遺跡からは律令時代の文官の道具であった
          硯や墨書土器が出土




近世において、湿地であった平地の新田開発
が積極的に進められる様子や、江戸と東町と
を結ぶ利根川が水運ルートに利用され、産物
や文化が盛んに行き交う様子を紹介します。



     
 
                          東町の近世は検地と十六島の新田開発で始まり
                          徐々に農村として発展していきました


当時の地勢がわかる元文元年(1736)の
[阿波崎村・伊佐部村統計絵図]



近世に始まる利根川の治水工事、戦後の土地改良事業など人々の
水との戦いと、江間や湿田に適した農具の開発など水との共存を
図ってきた人々の知恵にスポットを当てます。


東町の原風景ともいうべき広大な実りの風景の陰には
町民の水害との闘いがありました。

水郷の動脈ともいえる江間のある風景を
再現したジオラマ


水路から田へ水を汲み上げる農具として
活躍した足踏み式水車



現在、東町を構成する田園地帯や台地には、
町民の豊かな暮らしに寄与するさまざまな施設
が点在しています。それらを地図と写真で紹介
し、未来へのびゆく東町の姿を概観します。

                   次世代を視野に入れた事業や施設も多く見られる。



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